2019年05月19日

ザ・ピーナッツ「恋のフーガ」



追いかけて追いかけて
すがりつきたいの
あの人が消えてゆく
雨の曲り角

幸せも想い出も
水に流したの
小窓打つ雨の音
ほほぬらす涙

はじめから結ばれない
約束のあなたと私

つかのまのたわむれと
みんなあきらめて
泣きながらはずしたの
真珠の指輪を

はじめから結ばれない
約束のあなたと私

かえらない面影を
胸に抱きしめて
くちづけをしてみたの
雨のガラス窓

ドゥン・ドゥビ・ドゥバ
ドゥン・ドゥ・ドゥビ・ドゥバ
パヤ・パヤ・パヤ


前回のザ・ピーナッツの記事では1966年リリースの
20枚目のシングル「ローマの雨」を取り上げました。

ザ・ピーナッツは師匠でもある宮川泰の手による作品が多かったのですが
徐々に宮川泰とのかかわりが薄くなっていきます。

そのターニングポイントになる歌が「ローマの雨」だった、
という内容でした。
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「恋のフーガ」は22枚目のオリジナルシングルとして
1967年8月にリリースされました。

二つ前の20枚目のシングル「ローマの雨」
1966年10月リリースですから、
2枚のシングルをリリースするのに10か月。

ザ・ピーナッツ初期の1か月2か月スパンでのリリースを考えると
ずいぶん落ちついてきました。

悪い言い方をすれば、
前記事で書いたようにザ・ピーナッツ人気に翳りが見えてきた、
ということだったと思います。

「ローマの雨」で渡辺晋がすぎやまこういちを起用。

そしてこの「恋のフーガ」の大ヒットは
そのヒットとともにザ・ピーナッツ=宮川泰という図式の
終わりの象徴だったような気がします。

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作詞:なかにし礼、作曲:すぎやまこういち、編曲:宮川泰という
制作陣でこの歌は作られました。

作詞家のなかにし礼
大学時代からシャンソンの訳詞をしていました。

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偶然出会った石原裕次郎から
「シャンソンの訳なんてやっていないで、日本語の歌詞を書きなさいよ」
と言われ作詞を始めました。

そして石原プロに持ち込んだ「涙と雨にぬれて」
石原プロの強力なバクアップのもとヒット。
1966年頃のことでしょうか。

「恋のフーガ」が1967年ですから
まだまだ新人作詞家であったと思います。

しかしなんでまた「恋のフーガ」なんでしょうか。

フーガって何か聞いたことあるって人もいるでしょう。
私の時代では小学校の音楽の時間に無理やり聴かされた曲が有名です。

バッハ「フーガト短調」


クラシックが苦手な人は眠くなりますよねえ、わかります。

ま、こんな感じで一定の旋律を繰り返す方式を「フーガ」と言います。

これって輪唱じゃね?
かえるのうたがーきこえてくるよー、と同じじゃん。

がっつり省略して説明すると
輪唱とカノンとフーガはまあまあ同じようなもんです。

詳しい方に怒られない程度に追加すると、
全く同じのメロを繰り返したら輪唱、
位置ずらしたりひっくり返したりちょっと変えたのがカノン、
基本のメロを色々変えてっていいよってのがフーガです。

で、「恋のフーガ」はフーガ形式とは何の関係もありません。
今までの説明は何だったんでしょうねえ・・

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追いかけて追いかけて
すがりつきたいの


この好きな男を「追いかける」ことを
フーガ形式のメロを追いかけることにかけているのですが、
実はもう少し深い意味を持たせています。

フーガという言葉はラテン語で「逃げる」という意味なのですが、
フーガの二つのメロディは逃げ続け追いかけ続け
それが交わり終結することはありません。

はじめから結ばれない
約束のあなたと私


「逃げるあなた」「追いかける私」
この二人の恋愛自体をフーガだと例えているのです。

ザ・ピーナッツの作詞依頼を受け、
この双子デュオを一番生かし
ザ・ピーナッツならではの方法論、
「恋のフーガ」としたところがなかにし礼の才能だったのでしょう。

ジャパニーズポップスって「追いかける恋」の歌って
方法は様々ながらものすごく多いですよね。

このブログで取り上げた「まちぶせ」「明日があるさ」もそうですし
「追いかけてヨコハマ」「追いかけて雪国」なんてのもあります。

そういった肉食的な恋愛はやはりドラマティックなのでしょう。

はじめかーらー(はーじめかーらー)
というサビがフーガ形式っぽいって!?
そう・・・ですね、きっとフーガです・・

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この「恋のフーガ」には5つの大きなポイントがあります。

一つ目は、誰もが印象的に思えるイントロのティンパニという打楽器です。

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もともとはクラシック系の楽器でありますが
この歌ではイントロの部分で雷鳴のように鳴り響きます。
この歌のインパクトという部分で貢献しています。

恋の始まりを雷鳴のようなティンパニで表現したのでしょう。

歌が始まると控えめではありますが歌のリズムを強調するように
追いかけーて(ドンドン!)追いかけーて(ドンドン!)と鳴っています。

ギターのカッティングも含めた
「ドンタト ドンタッ」という
このリズムの強調には意味があるのです。

二つ目が、ストリングスです。

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歌の二番である
幸せも想い出も 水に流したの
の部分から始まるストリングスは大変ドラマティックで

「恋のフーガ」が名曲だと思わせるための泣きの部分です。
このリズムがあってこそのこのストリングスなのでしょう。

そしてこのストリングス自体が泣きの演出だけではなくて
もう一つの展開、サビへのブリッジにもなっているのです。

イントロで出したブラスのメロを
サビ直前にブラスでもう一度出します。
最後の「パヤパヤ」と同じフレーズであります。

三つ目が、サビでのビートチェンジです。

外国人がジャパニーズポップスを聴いてよく思うことで
「なんでここでビートチェンジするんだ?」というのがあります。

もちろん例外はたくさんありますが、
洋楽は1曲の歌の構成の中でビートチェンジをしないことが多いです。

西洋の音楽プロデューサーの中には
「せっかくサビまで築き上げたのに
サビでビートを変えるなんてもったいない!
と感じる人も多いようです。

Aメロのリズムがあって、そこへストリングスが入って、
サビでビートチェンジがあって、
もう一度Aメロのリズム+ストリングスに帰る。

そこまでがワンセットになっているアレンジなのです。

つかのまのたわむれと
みんなあきらめて
泣きながらはずしたの
真珠の指輪を


帰って来たこの部分はさらにドラマティックに聴こえるはずです。

その後のジャパニーズポップスは
日本独特の曲の構成である
ブリッジやサビでのビートチェンジを多用するようになりますが
この時代にその礎が築かれたのではないかと思っています。

四つ目が最後の謎のスキャット「パヤパヤ」です。

「パヤパヤ」には謎があります。

制作陣の誰がパヤパヤさせたのか、ということであります。

なかにし礼か、すぎやまこういちか、宮川泰か。

私の推測ではありますが、宮川泰じゃないかと思っています。

「恋のフーガ」のアレンジは宮川泰なのですが
イントロ及びサビ前など随所にブラスでのフレーズがあり、
それが「パヤパヤ」の前フリになっていると思うのです。

ものまねやカラオケでは
イントロから「パヤパヤ」言っちゃうパヤパヤ厨がいますが
そうやすやすと「パヤパヤ」してはいけないのです。

たびたび出てくる前フリがあってこその
最後の感極まった「パヤパヤ」であり、

逆にアレンジャー側から言えば、
「パヤパヤ」のアイデアがあってからの
逆算で作られたイントロ
なんじゃないかと思います。

私の推測が正しければ、ではありますが、
この歌のポイントの多くはアレンジを担当した宮川泰の功績であり、

間奏で聴かれるチューバの割れんばかりの低音なども含め
インパクト+感動+変化を主軸にしたアレンジは大変素晴らしいものでした。

五つ目は、出だしの歌詞です。

以前、坂本九の「見上げてごらん夜の星を」の記事でも書きましたが、
長く愛される歌の多くはサビではなく歌の出だしが大事なのです。

「恋のフーガ」を歌ってみて、と言われたら
きっと「おいかけーて」が出てくるんじゃないでしょうか?

メロディを作ったすぎやまこういちはもちろんですが、

追いかけて追いかけて すがりつきたいの

この歌を知ってる人のほとんどがこの出だしだけは歌える、という
これを作ったなかにし礼は素晴らしいのだと思います。

「昔アラブの偉いお坊さんが」には勝てませんけどね。

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この「恋のフーガ」のシングルのB面になった歌があります。

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「ローマの雨」ではすぎやまこういちの門下生橋本淳が作詞をしました。

「恋のフーガ」のシングルのB面「離れないで」では
作詞橋本淳にくわえ
もうひとりの門下生筒美京平が作曲をしています。

すぎやまこういちの「書いてみるか?」の一言で
「離れないで」の作曲を行なっています。

筒美京平のデビュー作は分かりませんが
限りなくそれに近いんじゃないでしょうか。

ザ・ピーナッツ「離れないで」


この曲自体に筒美京平らしさはありませんが、
のちにジャパニーズポップス界に君臨することになる
偉大なポップス王の登場(当時27歳)なのであります。

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「恋のフーガ」は大ヒットし
1967年の紅白歌合戦にも出場しました。



坂本九に倣って英語圏での活躍を試み、英語バージョンも作られました。

ザ・ピーナッツ「恋のフーガ」英語バージョン


前年1966年3月にはエドサリバンショーに出演。



宮川泰アレンジの「Lover come back to me」
ザ・ピーナッツの歌唱もなかなか素敵です。

渡辺晋は「世界のザ・ピーナッツ」を目指し
実際に海外でもザ・ピーナッツは評価されたようです。

しかし当時は「ザ・ピーナッツがエドサリバンショーに出た」
というニュースはあまり報道されなかったようです。

時代の流れがもう少しゆっくりだったら
「世界のザ・ピーナッツ」は見れたかもしれません。

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このシングルが出たのが1967年8月。

その半年前1967年2月に
ザ・ピーナッツと同じ渡辺プロと契約をしたザ・タイガースがデビューしました。

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渡辺プロとすぎやまこういちが作った音楽番組「ザ・ヒットパレード」
グループサウンズブームの火付け役となり、
もちろんザ・タイガースは番組上でも一番の推しとなりました。

デビューとともに大人気となり、
5月発売の2ndシングル「シーサイド・バウンド」は40万枚を超えるヒット。

1966年6月、来日公演をしたビートルズの影響はかなり強いですね。

ザ・タイガース「シーサイド・バウンド」


渡辺プロ制作の「シャボン玉ホリデー」にも出演し人気は加速していきました。

時代はザ・ピーナッツのようなポップスから
グループサウンズへ移行していきます。

1970年代になると渡辺晋はザ・ピーナッツの楽曲を
ザ・タイガースの沢田研二
ワイルドワンズの加瀬邦彦などGS勢に任せましたが
ヒットにつながることはありませんでした。

1971年には渡辺プロの小柳ルミ子が「わたしの城下町」で歌手デビュー。
160万枚を売り上げました。

小柳ルミ子「わたしの城下町」


同じく1971年、渡辺プロは天地真理を「水色の恋」でデビューさせ、
1972年「ひとりじゃないの」が大ヒット。

動く天地真理の動画はどんどん削除されていっていますが
当時はホントに美人でしたねえ。


その他にも1970年には吉田拓郎
1972年には荒井由実がデビューしていました。

もはや当時はグループサウンズだけではなく
多くの音楽の波がやってきていて
ザ・ピーナッツ的なポップスは時代おくれになっていったのです。

1972年頃からはザ・ピーナッツは引退を考え始め
「さよならは突然に」「さよならは微笑んで」「お別れですあなた」など
楽曲のタイトルも引退を示唆するようなタイトルが増えました。

1975年に引退を発表し、夜のヒットスタジオでは引退特番が組まれました。

このシリーズの動画は「情熱の花」「恋のバカンス」の記事でも紹介しましたが
その時の引退特別番組のものだと思います。



同年6月にお姉さんの伊藤エミは
ソロ活動を始めていた沢田研二と結婚

1975年といえばこんな歌の頃でした。

沢田研二「時の過ぎゆくままに」


ネット上では時々「人気絶頂期に引退した」という記述を見かけますが
決してそういうわけではなく
ザ・ピーナッツは一時代を築いたスーパースターではありましたが
時代の流れに飲み込まれていったのです。

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posted by スナフキン兵長 at 18:05| Comment(0) | ザ・ピーナッツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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