2019年05月07日

ザ・ピーナッツ「ローマの雨」



むねにのこる ローマの夜
こよいかぎりの 二人の愛

むねにしみる ローマの雨
二人のわかれは かなしいさだめ

ああ ゆるして あなたは遠い真珠
ああ ゆるして わたしはローマの小鳩

心まどわす ローマの夜
ほほえみかわした 愛の泉
今はむなしい

ああ ゆるして あなたは遠い真珠
ああ ゆるして わたしはローマの小鳩

心まどわす ローマの夜
ほほえみかわした 愛の泉
今はむなしい

さよなら さよなら


前回のザ・ピーナッツの記事では1963年リリースの
9枚目のシングル「恋のバカンス」を取り上げました。

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1966年10月に20枚目のシングルとしてリリースされた
この「ローマの雨」はザ・ピーナッツの歌の中では地味な存在ですが、
変革という点で意味を持つ一曲でした。

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ザ・ピーナッツのオリジナルシングルとしては
27枚目にいたるまでそのほとんどが
師匠でもある宮川泰の作曲・編曲でした。

しかしこの20枚目のシングル「ローマの雨」では
作詞に橋本淳、作曲がすぎやまこういちとなっています。

すぎやまこういちから説明したほうが分かりやすいと思います。
あの有名なゲーム「ドラゴンクエスト」の音楽を作った人として有名です。

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1931年生まれの現在88歳。
学生時代に同じ学校だった青島幸男と仲良くなったり、
創設した音楽部のオーケストラに服部良一の息子服部克久が参加したり、と
そういったつながりはあったもののフジテレビの社員となりました。

すぎやまこういちが音楽番組「ザ・ヒットパレード」を企画制作した際に
唯一乗ってきたのが渡辺晋ひきいる渡辺プロダクション

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フジテレビ自体が1959年に開局したばかりで力がない時でしたので
渡辺プロダクションが制作費を持つ形で合意。

渡辺晋とすぎやまこういち主導1959年からこの番組は始まり、
すぎやま自身で音楽の担当をしていたりしていました。

渡辺プロダクションが作ったテレビ番組、
「シャボン玉ホリデー」が1961年6月スタートですから
その2年前の出来事です。

司会が渡辺プロのミッキーカーチス
のちに細野晴臣や松任谷由実を育てた村井邦彦とともに
マッシュルームレコードという会社を作ったロカビリー歌手です。

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ザ・ピーナッツのバックバンドにブルー・コメッツ

渡辺プロとすぎやまこういちが作った音楽番組「ザ・ヒットパレード」
のちにグループサウンズブームの火付け役となりました。



「ザ・ヒットパレード」の番組自体は1970年まで続きましたが、
すぎやまこういちは1965年にフジテレビを退社し
その後フリーのディレクター兼作曲家になりました。

当時そのすぎやまこういちの門下生としていたのが
橋本淳筒美京平でした。

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渡辺晋はフリーになったすぎやまこういち
ザ・ピーナッツの楽曲制作を依頼。

すぎやまこういちは門下生である橋本淳に作詞、
学生時代からの旧知の仲であった服部克久に編曲をさせました。

翌1966年にシングル「ローマの雨」リリース。

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その依頼の背景にはザ・ピーナッツの伸び悩みがあったと思います。

1963年4月「恋のバカンス」
1964年9月「ウナ・セラ・ディ東京」のヒットはあったものの
徐々に売り上げは落ちていました。

1961年に始まった「シャボン玉ホリデー」でも微妙な立ち位置になっていました。

もともと「シャボン玉ホリデー」は渡辺晋が
音楽とバラエティという2本柱で
日本のテレビ界にバラエティ番組を定着させようという試みのものでした。

クレイジーキャッツはそれぞれのキャラも濃く
その両立がうまく働いていたのですが、
ザ・ピーナッツはバラエティ的な部分でおさまりが悪かったのです。

「双子である」ということは、
歌手として大変なインパクトの強みであると同時に
バラエティ的なところでそれぞれの個性を出すことは
矛盾してしまうというジレンマもあったでしょう。

年齢が10歳くらいしか違わないハナ肇を父設定とし、
双子の娘が「おとっつぁん、おかゆができたわよ」というお決まりのコント。
特に色の出せないままマンネリ化していきました。

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番組エンディングでもいつも謎の親子スリーショット推し。

追い打ちをかけるように
自社制作の音楽番組「ザ・ヒットパレード」から火が付いた
グループサウンズの盛り上がりもありました。

1962年ビートルズデビュー

1965年5月にはGS古参ザ・スパイダース
かまやつひろし作詞作曲「フリフリ」がヒット。


1966年6月、ビートルズ来日公演

今のスタイルの音楽は確実にグループサウンズに押されていってしまう。
渡辺晋はそんな時代の変化を敏感に察知していたのでしょう。

あらゆる面でザ・ピーナッツの人気に翳りが見えてきたこの頃、
時間もお金もたくさんかけて育ててきたザ・ピーナッツを何とかしようと
違う路線を見出そうとしていたんじゃないでしょうか。

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この「ローマの雨」には2バージョンが存在します。

トップの動画は@服部克久バージョンA宮川泰バージョンと
連続になっていますが、
曲頭を探すのも面倒でしょうから
改めてそれぞれで張っておきます。

最初のリリースはシングル盤用として服部克久のアレンジ。
ブラスセクションとギターカッティングが強めに入り、
ホーカルはセンターに置かれ、かなりの深いリバーブがかけられています。

服部克久バージョン


その後、アルバム用としていつもの宮川泰のアレンジが行なわれました。
服部克久のアレンジを基本としながらも
ブラスとギターを弱めにし全面的にストリングスを入れました。
ボーカルのリバーブは浅めでステレオ感のある
間を埋めていくいつもの宮川泰のアレンジ、というものでした。

宮川泰バージョン


リバーブ嫌いの私は宮川泰バージョンのほうが好みなんですが
みなさんはいかがでしょうか。

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曲を聴いてもらうと何となく思う方もいらっしゃると思うのですが
グループサウンズっぽい感じがすると思います。

サビのとこだけ「ブルーブルー、ブルーシャトウ」って歌っても
何の違和感もない感じしませんか?

ジャッキー吉川とブルーコメッツ「ブルーシャトウ」


ちなみに「ブルーシャトウ」
翌1967年にブルーコメッツが作曲井上忠夫(井上大輔)でリリースしたもので
すぎやまこういちの作曲ではありません。

一聴すると前年に出た「ローマの雨」にインスパイアされてるように思えますが
「ブルーシャトウ」にはすぎやまこういち的な
フワフワさせたテンション的アプローチはありません。

インスパイアされてるとしたら
1920年代に作曲されたこっちかもしれませんね。

どれにしようか迷ったんですが
一部のファンのためにしょうこお姉さんにしました。
何だか見てるだけでハラハラしますね。

はいだしょうこ「月の砂漠」


のちに、すぎやまこういちザ・タイガースをに曲を書くようになります。

沢田研二を主軸にし加橋かつみらで固めたザ・タイガース(当時ファニーズ)は
1966年、内田裕也の仲介のもと、渡辺プロと契約したからです。

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ザ・タイガース「花の首飾り」


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ザ・ピーナッツは、師匠である宮川泰とのコンビで
長い間やってきましたが、

「ローマの雨」でのすぎやまこういちの起用というのは
目先の変化ではなく今までやってきた路線を大きく変化させていく
ザ・ピーナッツとしての岐路だったんじゃないかと思っています。

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posted by スナフキン兵長 at 05:31| Comment(0) | ザ・ピーナッツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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